Living Dhamma 生きた仏教の教え

四つの聖なる真理

アジャン・チャー














 
この法話は1977年にイギリスのカンブリア、マンジュシュリー協会でおこなった法話です。

 本日、私は皆様方に法話をするよう、こちらのご住職様に招かれました。皆さん、静かに座って心を落ち着けて法話を聞いてください。
 言葉の壁がありますので通訳をつけてお話いたします。
 よく注意して聞いてください。

 私はこちらでは非常に快適に過ごしています。
 ご住職様もお坊様方も在家の方々もとても親切ですし、みんな親しみやすく、笑顔でいます。これはお釈迦様の教えを実践するのに大事なことです。
 こちらの建物も非常にすばらしく、とても大きいですね! お釈迦様の教えを実践する場をつくるために建物を修復し、寄進されたことは大変すばらしいことです。

 さて、私は長年、お釈迦様の教えを説いてきましたが、私も私なりにいろいろ苦労してきました。
 現在、私のお寺Wat Nong Ba Pongの別院が四十ほどありますが、瞑想を学びに来る人たちのなかには教えるのがむずかしい人たちがいます。
 知識があっても実践しない人もいれば、知識もなければ真理を見出そうとしない人もいます。そういう人たちにたいして私はどうすればよいのかわかりません。どうして人の心はこうなのでしょうか? 
 無知でいることは決してよいことではありませんし、無知はよくないと話しても、彼らはいっこうに耳を傾けません。これ以上、私に何ができるでしょうか。

 人は瞑想実践に関して「疑い」でいっぱいですし、いつも疑いを持っています。
 みんな涅槃(nibbāna)に達したがっているようですが、涅槃への道を自分で歩きたがらないのです。
 これではどうにもなりません。
 私が瞑想してくださいと言うと、いやがってやらないか、いやがらなければ瞑想中 すっかり居眠りしています。
 多くの人が、私が教えないことをやりたがるのです。
 ご住職様にお会いしたとき「こちらの修行者はどうですか?」とお聞きしたところ、ご住職様は「同じです」と答えました。これは、指導者であることの痛みでしょう。

 * * * 

 皆さんのなかには、「やるべき仕事がたくさんありすぎてお釈迦様の教えを実践する暇がない。どうすればいいのでしょうか」と質問する方が結構います。

 私はこう答えます。「あなたは仕事をしているとき呼吸をしないんですか?」と。

 彼らは「もちろんしています」と言います。

 私は「でも、そんなに忙しいなら呼吸をする暇なんかないでしょう」と言うと、彼らは黙ってしまいます。

 瞑想実践とは、呼吸のようなものなのです。


Living Dhamma by Venerable Ajahn Chah

出村佳子 訳








 
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
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yoshiko.demura


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