安楽死

Mercy Killing



K. スリダンマーナンダ長老
 
 


安楽死は「安楽」なのか?

 仏教では、「安楽死」を正当化することはありません。
 
 飼っているペットが苦しんでいるのを見るのが嫌で、ペットを殺す人もいますが、これは苦しみを取り除くための正しい方法でしょうか? 

 もし苦しんでいるペットや動物を安楽死させることが正しい方法だとするなら、なぜ自分の愛する人々にたいしては同じように安楽死させないのでしょうか? なぜ嫌がるのでしょうか?

 飼っている犬や猫が病気になって苦しんでいるのを見ると、それが嫌で、死なせるよう手配する人がいます。彼らはこの行為を「安楽死」と呼んでいます。

 でも実際のところ、そのような人たちは動物に安楽を与えているのでありません。自分の勝手な都合で、動物が苦しんでいる姿を見なくてもすむよう、動物を殺すのです。

 たとえ苦しんでいる動物にたいして「かわいそう」という哀れみを持っていたとしても、動物の命を奪う権利は誰にもありません。心から「なんとかしてあげたい」と思っていたとしても、殺すことは正しい方法ではないのです。

 動物を「哀れみをもって殺すこと」は、「憎しみの感情で殺すこと」とは、受ける業(カンマ)の結果は異なるかもしれません。でも、仏教では、いかなる理由があっても生きものを殺すことを正当化していないのです。

 意図や理由がよければ苦しんでいる生命を殺してもよいのではないか、と誤った考えを持ち、安楽死を正当化する人もいます。それでペットを殺し、「苦しみを取り除いてあげた」、「よいことをした」などと主張するのです。

 おそらく動物の苦しみを取り除いてあげたい、という元々の意図や動機がよいものであったことは確かでしょう。でも、続いて起こる、生命を殺そうとする思考から生じる殺生の悪い行為は、確実に悪い結果をもたらすのです。

 もしかすると、病気の動物を死なせなければ、大勢の人に迷惑がかかる場合もあるかもしれません。それでも、仏教は安楽死を正当化しません。殺生をした人は、悪い業の結果を受けなければならないのです。

 ただ、どうしても必要に迫られ、怒りや憎しみを持たずに安楽死させることは、激しい怒りや嫉妬を持って殺すことよりも、悪い業の報いは軽いでしょう。

 その生命(人や動物)がいま苦しんでいるのは、その生命の持つ悪い業のせいかもしれません。もし安楽死させることで悪い業のはたらきを止めようとするなら、その業のエネルギーは輪廻転生した別の生ではたらき、その業を負わなければならないのです。

 苦しんでいる生命にたいして、仏教徒として私たちにできることは、生命の苦しみを和らげる手助けをすることだけなのです。


自己防衛なら、殺してもいいのか? 


 お釈迦様はすべての生命にたいして、殺生しないように薦められました。もしすべての人類がこの教えを守るなら、互いに殺し合うことはないでしょう。

 お釈迦様は、たとえ自分のいのちが脅かされる場合でも、自己防衛のために他者を殺すことはよいことではない、と教えられています。

 自己を守るための武器は、「慈悲」です。慈悲をあまり実践しない人は、苦しむのです。

 人は自分のことをあまりにも大事にしすぎているため、他人を受け入れたり他人に譲ったりすることをしません。現実の社会では、自分を守るために他人と戦っている人がほとんどです。危険な状態に遭遇したとき、どんな生命でも身を守るために本能的に他者を殺してしまうことは、自然なことでしょう。でも、殺生の行為をしたなら、その意図の程度に応じて、悪い業の結果も受けなけ
ればならないのです。

 殺したいという「意図がない」にもかかわらず、偶然、殺してしまうこともあります。その場合、その行動にたいして責任はありません。

 他方、どんな状況であっても、相手を殺したいという「意図を持って」殺すなら、その業の結果を受けなければなりません。殺したことの結果を受けることになるのです。


殺生は、殺生


 「殺生は、殺生である」ということを憶えておかなければなりません。

 「他人(生命)を殺すことは悪い」と考え、殺すことを認めないとき、社会はそれを「殺人」と呼びます。

 殺人を犯した人を処罰するとき、「死刑」と言います。

 国を守る軍隊が敵の軍隊に殺されたとき、「殺戮」と言います。

 しかし、殺戮を正しいものだと認めると、「戦争」と言うのです。

 「殺人、死刑、殺戮、戦争」などの「呼び方」を、感情を入れずに見るなら、どれも「殺生」であることが理解できるでしょう。

 近年、科学者や宗教家たちの一部が、「安楽死」、「無痛死」、「人道にかなう死」、「穏やかな死」などという言葉を使って、生命を殺すことを正当化しています。苦しんでいる生命が痛みを感じなければいい、刃や針が細ければ痛くないからいい、殺すことは正しい、と主張するのです。

 仏教は、このような主張は認めません。どのように殺すのかということは関係ありません。

 「一つのいのちが、他の生命によって終わらされた」という事実が重要なのです。

 いかなる理由であれ、他のいのちを奪う権利は、誰にもないのです。
            
 (了)

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"Mercy Killing" by Ven. K. Sri Dhammananda Thero.
Buddhist Missionary Society, Buddhist Maha Vihara, Malaysia.
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K・スリダンマーナンダ長老 著

出村佳子 訳


生きとし生けるものが幸せでありますように








 
 
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