故人の供養

スリダンマーナンダ長老 法話 

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質問 「親孝行」について

 私は両親と遠く離れて暮らしていますが、どうすれば両親にたいし、親孝行をすることができるでしょうか?


答え (スリダンマーナンダ長老)

 老いた両親の近くに住んでお世話をするのが一番よいことでしょうが、他にも多くのやり方で感謝を示すことはできます。両親が若いころ私たちを育て、面倒を見てくれた恩にたいして、感謝を示すことができるのです。

 まず、思い出してください。子どものとき、両親が自分のことを大事に思っているかどうかを知りたくて、いつも両親と話したがっていました。
 今は、いつでも話すことができます。定期的に電話をかけたり、ちょっとした贈り物やお金をおくったりすることもできます。両親が周りの人たちに自慢できるようなことをすることができるのです。両親は子どものことを自慢することが好きですし、子どもがいかに立派に生きているかということを話したがるものです。

 それから両親には、「子どもが自分のことを大事にしてくれている」という何か証拠になるものが必要です。贈り物は高価なものである必要はありません。「お父さん、お母さんのことを思っています」などのメッセージを書いたカードをときどき送るだけでも、思いやりのある気づかいになります。特別な日を待つ必要はありません。

 それから当然、できるかぎり、両親を訪れるべきです。そして伝えてください。「お父さん、お母さんのことを大事に思っています。お母さんが作るおいしい料理が食べたいし、お父さんのアドバイスが聞きたいです」などと。

 両親は、自分が子どもの人生にとって重要な存在である、ということを知りたいものです。ですから、次のようなことは決して思わないでください。「私が両親を大事に思っていること、両親は知っている。そんなこと、わざわざ口に出して言う必要はない」などと。
 愛情や感謝を、形にして表すことが必要なのです。

  


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質問 「足るを知る」こと 


 仏教は、「自分にあるもので満足しなさい」と教えています。
でも、もし現状に満足すると、新しい技術や科学などの発見をしようとする人がいなくなり、世界が発展しないのではないでしょうか?


答え (スリダンマーナンダ長老)

 「自分にあるもので満足する」ということは、怠けることとは違います。このポイントに関して、「必要」と「欲」とを区別して理解することが大切です。
 自分に「必要なもの」は限られていますし、満たさなければなりません。
 他方、「欲しい」ということには限りがなく、動的で、増え続けていきます。私たちは欲があるために、満足することができないのです。

 では、希望や野心を持つことは間違っているのでしょうか? 

 間違っているとは言えません。でも、「どの程度で止めるか」ということを知らなければなりません。私たちの欲は決して満足しないでしょうし、その結果、心が満たされることもなく、幸福も得られないのです。
 一方、充実感は幸福をもたらします。充実感は、無気力や怠けと同じではないのです。

 それから、運命論を信じて物事をあきらめることを、お釈迦様は教えていません。「努力すること」を教えられました。在家での生活を送る場合には、忍耐を持ち、道徳を守り、一生懸命働き、自分と家族にたいする自分の義務を果たすことが大切なのです。

 お釈迦様は、世俗の生活を送る方法と心を育てる方法を教えられました。この二つを正しく区別することが大事です。
 世俗的な生活では、生計をたてるために稼ぎ、守り、他者に害を与えず、正しく人生を過ごさなければなりません。
 一方、世俗生活の本質を理解したとき、精神的な生き方をするために俗世間の生活を厭い、離れるでしょう。このようにして、欲と怒りと無知、そして一切の束縛をなくしていくのです。


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質問 生命

 誰かに踏まれて死にかかっているアリがいます。どうすればいいでしょうか? もしそのままにしておけば、アリは苦しみ続けます。殺せば、もう苦しまなくてすみます。人に踏まれて苦しんでいるアリにたいして、どうすればよいでしょうか?

答え (スリダンマーナンダ長老)

 仏教は、「いかなる生命も殺してはならない」と教えています。
世の中には、安楽死という考え方がありますが、仏教は支持しません。苦しみを終わらせるために今生の命を終わらせることは答えではないのです。生命は来世においても業の結果を受けなければならないのですから。苦しみが延びるだけであり、苦しみは続いていくのです。

 生命は最終的な解脱である涅槃(Nibbhaana)に達するまで、生まれては死に、さまざまな生涯を経て輪廻転生をします。もし生命が苦しんでいるのを見たら、苦しみを和らげるように最善を尽くすようにしてください。

 もし苦しみを和らげることができない状況にあるなら、そのときは、その生命が負っている苦しみにたいして自分に責任があるわけではないのだから、悪い業をつくることにはなりません。

 私たちにできることは、その生命の苦しみを和らげるように努力することだけです。もし和らげることができる状況でなければ、前にすすんでください。

 ホスピスに行くと、多くの末期患者の方々に出会います。ガンや麻痺、エイズなど重大な病気で苦しんでいるのを見ると、いとも簡単に後悔や無力感、苦しみの巨大さにひどく落胆するものです。

 でも、自分に何ができるのか、仲間のあいだで何ができるのか、ということに目を向けなければなりません。たとえすべての人を助けることができなくても、無力さに負けないようにしてください。苦しんでいる生命を積極的に助けようとすることは大事なことです。無力感に負けることは、自分にも他人にも善いことではないのです。

 生きとし生けるものが幸せでありますように

  

 


 翻訳:出村佳子
   
Sabbbe satta bhavantu sukhitatta

©yoshiko.demura