故人の供養

スマナサーラ長老 法話

本文へジャンプ
   


 
子育ての秘訣

■親が教える道徳は宝物


 私がまだ幼い頃の話です。鳥を捕まえようとして罠をしかけて、鳥がエサを食べに来るのを待っていたことがありました。そこをちょうど母親に見つかってしまったのです。母親は私にこう言いました。「誰かが罠をしかけて、あなたを捕まえて、どこか知らない場所へ連れて行って、檻に入れて、逃げられないように外から鍵をかけると、あなたはどんな気持ちになるの?」と。その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中には、自分が誰かに捕まえられて檻に閉じ込められる、というイメージがはっきりと浮かんできたのです。「あーなんて恐ろしいことか、こんなことをやってはいけない」と心が痛くなりました。このようにして私の母親は、生命を大事にすること、正直になること、約束を守ることなど「どんな人間で生きるべきか」という道徳をすべて、日常生活の中で私がイメージできるように、わかりやすく教えてくれたのです。

 ときどき、母親は病気になりました。そんなときでも、子供たちは「ご飯はどうするの?」とわがままを言うのです。そうすると、母親は「私はもう歳だからすぐに死んでしまいますよ。君たちはいつまで親に甘えるつもりですか? 自分のことを自分でできなかったら生きていけませんよ」と言って、私たちに独立する大切さを教えてくれました。

 それから兄弟で喧嘩をしているとき、母親は「私は先に死んでしまうけど、その後も君たちはいっしょに生きていかなくちゃいけないんだよ」と言い、そう言われると「あー兄弟喧嘩はいけないな、いつまでもお母さんが来て守ってくれるわけではないんだ」という気持ちになって、兄弟で仲良くすることや助け合うことを学んだのでした。

 また、母親は、私が手伝いをするなど善いことをしたときはほんのちょっと褒めてくれましたが、一日中遊んでいたら「あんたもいるんですか」という態度で私を無視するのです。そういう母親の態度から私が何を学んだかといいますと、人に助けてほしければ、面倒をみてほしければ、自分が努力しなければならない、ということです。他人に協力していただくことはただで貰えるものではない、ということ。この戒めは私が13歳のとき親元を離れて出家して、まったく知らないお寺の世界に入ったときも役に立ちました。お寺の長老に親切にしてもらえなかったら困るのは自分だ、ということをちゃんと理解していましたから、長老にかわいがってもらえるように、自分の方からいろいろと善いことをしていたのです。大学に入ってからも同様に、賢くて学識がある教授たちに対しては、自分なりにいろいろ工夫してアプローチしました。そうすると教授たちは専門的な知識だけでなく、人間として生きる上で大事なことを何から何まで親切に教えてくれたのです。おかげで、私はお寺にいるときも大学にいるときも、気持ちよく生活できたのです。

 親が教える道徳は、子供にとって一生役に立つ『貴重な宝物』なのです。親の一番大切な仕事とは、子供に道徳を教え、善い人間を育てることにほかなりません。正直で、忍耐強く、自分で決めたことは文句を言わずに最後までやり遂げる。どこにいても、どんな仕事に就いても、道徳的で立派な人間で生きていられる人格を形成することなのです。


■愛情を捨てて「慈しみ」で育てる

 次のポイントです。ほとんどすべての親は、子供に対して強烈な愛情を持っています。この親の愛情、仏教ではこれを執着とか愛着といいますが、これは大変危険な猛毒で、苦しみしかつくらないのです。「子供のためなら何でもする、命も惜しまない」などと愛情で頭がいっぱいになりますと、頭が狂って物事が見えなくなり、何もわからなくなってしまうのです。そして、がまんできないほどの苦しみが生まれてくる。頭が狂った人は何をするかわからないでしょう。ひどいときには、子供のためだと思って人殺しでもするのです。親の愛着は、子供にとっては耐え難い精神的な負担なのです。親は子供のために命までかけるつもりでいても、子供はできるだけ感情に狂っている親から縁を切ろうとするのです。愛着は、親子関係まで壊してしまうものです。

 そこでお釈迦さまは、「愛情ではなく慈しみで育てなさい」と教えられました。子供にとって必要なのは、愛情ではなく慈しみなのです。慈しみとは「この子は私のものではない。地球上に生まれてきた大事な人間です。この子が間違いを起こさず幸福でいてほしい。責任感のある立派な人間に育ってほしい」という気持ちのことです。

 たとえば自分の子供が学校で友だちをいじめたとしましょう。親が学校に呼び出されると、たいてい今の親はこう言うのではないでしょうか?「うちの子がそんなひどいことをするはずがありません」と。子供が問題を起こすのは、親のやさしさが足りないことに原因がある場合が多いのですが、子供が問題を起こすと、偉そうに「お母さんは嘘をついてでも、あなたを守ってあげます」という態度をとるのです。子供でさえ自分がやったことはよくないとわかっているのに、こういうときだけ“やさしいお母さん”を演じて子供の弁護にまわるのです。それでは子供の性格が歪んでしまいます。

 世の中には道徳や倫理、秩序というものがありますから、子供が悪いことをしたら、親は落ちついて「なるほど、うちの子が悪い」と認めることが大事なのです。慈しみがあれば、子供にこう教えることもできるでしょう。「君が悪いことをしたら君の責任ですよ。いつまでも親に守ってもらえると思ったら、それは大間違い。親には何もできません。君は世の中の人間だから、世の中の道徳を自分で理解して行動しなくてはいけないんだよ」と。正しい子育ての秘訣は、『愛情を捨てて慈しみで育てる』ということです。

 それから、出家の世界でも子供を育てることがあります。お寺には小さい子供たちが親元を離れて出家してきますから、その後はお坊さんたちが親代わりになって子供の面倒をみるのです。ふつう大人が子供の面倒をみていますと、どうしても『愛情』というものが湧いてきます。しかし、愛情は執着であって苦しみしかつくりませんから、仏教の世界では、厳密にそれを戒めて禁止しているのです。子供にとっても、他人が自分のことを愛着を持って育ててくれると、ストレスを感じて苦しくなるのです。たとえば養子縁組という制度があるでしょう。幼いとき施設にいた自分を、誰か見知らぬ人が引きとって、我が子のように育ててくれる。18歳ぐらいになって「この親は自分のほんとうの親ではない」ということがわかると、ショックを受けるのです。なぜなら、これまで好き放題にわがままを言って、喧嘩したりして、さんざんこの両親を困らせてきたのですから。それで「申しわけない」という気持ちが生まれてきてストレスがたまるのです。また、育てた親も悲しいのです。彼らはほんとうにこの子を“我が子”だと思っているのですが、子供は「自分を産んだ親はだれですか」と訊いて、産みの親を探すのですから。お互いに苦しいのです。

 そこで仏教が薦めるのは「愛情を捨てて慈しみで育てる」ということ。慈しみで育てれば、子供には「申しわけない」という暗い気持ちではなく、「ありがたい」という感謝の念だけが残りますから、二人の人間関係が壊れることはないのです。「この子は地球の人間であって、自分のものではない」という慈しみで育てるなら、互いの信頼関係はずっと続いていくのです。結論を言いますと、子供を一人前の人間に育てることだけを考えていれば、何の問題も起きません。短い言葉で覚えておいてください、親の仕事は「子供の人格を形成すること」です。


■ 誕生から死まで幸福に生きる

 仏教は子供を育てるといった育児論だけに留まらず、もっと大きな視点から見て、生まれてから死ぬまで私たちはどのように生きるべきか、どのように心を育てて幸福になるべきか、という人間論を説いています。それをまとめた経典があります。これは大変有名な経典で『吉祥経』(Mangala Sutta/Sutta Nipâta 258-269)と言い、古くから仏教徒のあいだで親しまれています。ここではその中のいくつかを、子育てのポイントをまじえて紹介したいと思います。


●悪い性格の人と付き合わない

 子供は周りの人から強い影響を受けて育ちます。たとえば、親が関西弁をしゃべっていると子供も関西弁をしゃべりますし、フランス語をしゃべっているとフランス語をしゃべります。また、乱暴な言葉を使っていると子供も乱暴な言葉を使うようになります。子供は『真似の名人』なのです。なんでも真似るのですから、悪いことは真似しないように良い環境を与えることが大切なのです。たとえ自分がだらしない性格でも、子供が生まれたら、そのときからは行儀よく正しく生きる人間にならなくてはいけません。話をするときも、ご飯を食べるときも、何をするときもよく気をつけること。それは子供のためだけでなく、自分のためにもなります。


●善い人と仲良くする

 子供には、良い性格の人、道徳的で智慧のある人と仲良くさせてあげてください。別に、同じ年頃の子供でなくてもいいのです。むしろ年上の方が、子供は成長するのではないかと思います。

 むかしの社会は大きくて、村全体で子供を育てていましたから、子供の遊び相手はいつも同じ年頃の子供とは限りませんでした。ときどき、16才の男の子が3才の子の遊び相手になることもありました。それは互いにとって良いことで、16才という年はちょうどふざけるのが好きな年頃ですが、3才の子といっしょにいるときは、ふざけるわけにはいかないでしょう。何かあったら、親のような気持ちで「それは危険だよ」とやさしく教えたり、面倒をみてあげなければならないのです。そうすると、16才の子の性格もしっかりしてきますし、3才の子も知らないことをいろいろ覚えられますから、お互いにとって良いことなのです。
 子供には年齢の差に関係なく、道徳的で、善悪をきちんと判断できる人と仲良くさせることがとても大切です。


●尊敬に値する人を尊敬する

 日本でときどき見られることですが、親が子供に「ごめん」と謝るのです。実際に、私は子供が親に向かって「謝れ!」と怒鳴っているのを見たことがありますが、私から見れば、親は子供に対して謝るようなことは何もしていない。本当は子供が悪いのに、子供は「自分のわがままを聞いてくれなかった親が悪い」と腹を立てているのです。最近の子供たちは、『親を敬う』といった大事な道徳を忘れているのではないかと私は思うのです。

 数年前、家族で日本に来たスリランカ人と話していたときのことです。スリランカには、仏法僧に礼をするのと同様に、両親にも礼をするという習慣がありまして、この両親も自分の子供に「親に礼をする道徳を教えたい」と言うのですが、なにしろ日本にはそのような習慣がありませんから、なかなか教えられないと言うのです。もし、おじいさんやおばあさんがいっしょに暮らしているのでしたら、簡単にそれを教えることができます。たとえば、父親と母親がおじいさんとおばあさんに礼をするでしょう。子供は“真似っこ”ですから、それを見ると子供もおじいさんとおばあさんに礼をするのです。そのときおじいさんとおばあさんが「お父さんとお母さんにも礼をしなさい」と言って教えることができるのです。礼をすることは楽しいことですから、子供にはその習慣がすぐに身についてしまいます。

 それで、この家族にはおじいさんやおばあさんがいませんから、このように教えることができない。親が子供に「親に礼をしなさい」と言うのもいやでしょう。でも仕方なく言ったらしいのです。そうすると子供はこう聞き返したそうです。「同じ人間なのに、なぜ子供は親に礼をしなくちゃいけないの?」と。それでこの両親は何も答えられなかったのだということで。

 幼少の頃から両親や先生を敬うことを学ばなければなりません。もし子供に「なぜ先生に礼をしなくちゃいけないの?」と聞かれたら、「だってお前はまだ何も知らないでしょ? これから先生がいろいろなことを教えてくれるんだよ。お前が尊敬の心をもって礼をすれば、先生も親切に教えてくれますよ」と。
 それから「どうしてお父さんに礼をしなくちゃいけないの?」と聞かれたら、「だってお父さんは外で一所懸命仕事をして、私たち家族を養ってくれるんだからね。だからちゃんと礼をしなさい」などと教えることができるでしょう。

 なぜ、お釈迦さまは「尊敬に値する人を」という言葉を加えられたのでしょうか? 
 ただ単に「尊敬しなさい」とは教えられなかったのです。それはたとえ年齢が上であっても、犯罪や悪事を働く人、だらしない人を尊敬する必要はない、ということです。たとえば会社の上司が自分に、会社の利益のために偽りごとやごまかしなど、不正をするように命じたとしましょう。その時「目上の人だから尊敬しなければ」と考えて、命令に応じる必要はないのです。たとえ上司でも、悪事をもちかけられた時には、きっぱりと断らなければなりません。「悪いことは断る」という性格を身に付けることも、大事な道徳の一つなのです。

 子供にとっても「この人は不道徳な生き方をして、社会に害を与えている。だから尊敬する必要はない」と、悪いことを悪いことだと判断できる力を身に付けることが大切です。道徳的でなければ幸福にはなれないのですから、幼少期から、尊敬に値する人を尊敬し、その智慧を学ぶという習慣を付けてあげて下さい。

●適切な環境を選ぶ

 私たちは、生まれてから死ぬまで立派で幸福に生きていることが一番大事であって、それができない環境で暮らしているなら、その場所を離れるべきです。というのも生活環境は人に大きな影響を与えるからです。

 たとえばタイ、ラオス、ミャンマーの三国が国境を接する所に黄金三角地帯と呼ばれる地域があるでしょう。そこに住む人々は、麻薬の原料となるケシを栽培して、それを売って生活しているのです。近年、大部分の地域では、政府の規制によって麻薬の生産が激減しているようですが、政府の管轄下におかれていない一部の地域では、今でもなお生産され続けているのです。そこは大変辺鄙な所で、平地が乏しいために換金作物はつくれませんし、ちゃんとした教育システムや学校もありません。ですから村の農民たちは、ケシを栽培する以外に生きる方法がないのです。彼らはそれで収入を得て、生活を営んでいるのです。もしそういう所に、日本の誰かが「土地が安いから」といって土地を買い、家族全員で移住するとどうなると思いますか? おそらくその地域を牛耳っている麻薬売買人に支配されて、その人の言いなりになってしまうでしょう。「日本人ならお金を持っているだろ、もっと品質の高い、純度が高い麻薬を生産しろ。命令に従わないと殺すぞ」と脅されて、やらざるをえないことになってしまいます。

 ですから「良い環境を選ぶ」ことはとても大事なのです。たとえ自分が生まれ育った場所であろうと、自分や家族にとって良いことがなければ、その場所は離れた方がいい。「生まれ故郷」とか「先祖代々伝わっている土地」といった価値観にしがみつく必要はありません。それよりも死ぬまで道徳的で、立派な人間として、幸福に生きる方が大事なのです。

 子供にとっても同じことで、子供に立派な教育を与えたいと思うなら、良い学校、良い教育システムがある環境に移るべきでしょう。


●徳を積んでおく

 幸福に生きるためには、あらかじめ善いことをして、徳を積んでおかなければなりません。そうしないと人生は不幸になるのです。「徳を積んでおく」ということは、「悪いことをしていない」という意味でもあります。子供の時から人に知られては困ること、恥ずかしいことは何一つやらないように気を付けてください。そうすれば世界中のどこにいても正々堂々と胸を張って生きることができますから。

 たとえば、ある人が日本で犯罪を起こして外国に逃亡したとしましょう。初めのうちは「うまく逃げられた」と、ホッとして生活できるかもしれません。でももし自分が犯罪者だということがばれたら、またコソコソと身を隠して、怯えながら生活しなければならないのです。夜も安眠できません。結局、悪事を働いたら、どこへ逃げても安心して生きることはできないのです。それゆえ、悪いことは決してやらないように気を付けることが肝心なのです。


●自己管理

 自分を正しく管理できる人間になること。いわゆる感情に左右されないことです。今の若者たちはちょっとしたことですぐにカッとなるでしょう。カッとなると自制心を失い、何をするかわからないのです。最近の日本では、無差別に人を刺したり殺したりという事件が多発しています。自分の一時的な感情のために、公園で寝ている人をいきなり殴ったとか、通行人を刺したとか、仕事帰りの疲れた男性をねらって暴力を振るうとか――。

 感情を抑制できず、すぐにカッとなる性格は危険です。取り返しがつかない罪を犯して、一生を棒に振ることもしばしばあります。ですから自己を管理できる人間になることが不可欠なのです。


●勉強をして、技術を学ぶ

 人間は動物と違って、勉強して技術を身に付けないと生活できないのです。私たちは言葉を通してコミュニケーションをとっていますから、言葉の勉強をしなくてはなりませんし、読み書きも覚えなくてはなりません。お箸の使い方、ナイフやフォークの使い方など、幼い頃からさまざまなことを学ばなくてはならないのです。子供の時だけでなく、社会人になってからも勉強しなければなりません。会社では、年々新しい技術が開発され、システムもどんどん変わっていくでしょう。そうすると勉強をせずに怠けている人は「どうしていいかわからない、もうついていけない」と言ってどんどん後退してしまうのです。やがて若者たちに追い越され、自分の仕事や地位も危うくなってしまうのです。ですから、会社や周囲の変化に対応できるように、自分も常に新しい知識を得ていなければならないのです。それはそんなに難しいことではありません。物事をおもしろく見ていればいいのです。明日まったく理解できないほど、会社や世界が激変することはありえないでしょう。今日の延長線上に明日があるのですから、明日のことはだいたい理解できるものです。

 そういうことで、常に新しいことを知っておくなら、世の中がどう変化しても、混乱せず、それに対処することができるのです。


●道徳を身につける

 勉強をして技術を習うだけでは不十分です。道徳を身に付けなければなりません。生きものを害さないとか、人の物を盗まないとか、嘘をつかないとか、約束を守るなど、いろいろな道徳を守ることです。いくら勉強ができても道徳が身に付いていなければ、幸福には程遠いのです。


●言葉の管理

 感情に任せてペチャクチャおしゃべりしてはいけません。話そうとすることが、聞く人に理解できるように内容をよく考え、言葉を管理し、明確な発音で話すことが大事です。人間関係では、言葉をちょっと間違えただけで大問題が起こることがあるでしょう。何気なく発した一言が、相手のプライドを傷つけたり辱めたりということがよくあるものです。ですから言葉を使うときは細心の注意を払うべきです。『口は災いのもと』という諺がありますが、そのとおり、口からあらゆるトラブルが生まれ、最悪の場合、戦争までも引き起こしかねないのです。

 それから、子供は親の言うことをあまり聞きたがりませんが、なぜでしょうか? それは親が同じことを何度も何度も――40回ぐらい繰り返して言うからなのです。子供にとってそれはただの雑音で、うるさいだけ。だって1回聞けば、残りの39回は聞く必要がないでしょう。だから聞くのを嫌がるのです。ですから親はなるべく言葉数を減らして、大事なことしか言わないように気を付けてください。そうすれば、子供も親の話に耳を傾けるようになるでしょう。

 さて、ここまで話してきた項目は、私たちが幼少の頃から学ばなければならないことがらです。悪い人と付き合わず、善い人と付き合い、尊敬すべき人を尊敬する。自己を管理して、適切な環境を選ぶ。教育を受け、技術を身に付け、道徳を守り、言葉を管理する。このような生き方をしていると、だいたい20歳ぐらいの立派な成人に成長しているものです。それで次の仕事があります。


●両親を養う

 両親の面倒をみることです。今までさんざん両親にお世話になったのですから、これからはお返しの時間です。これは人間として大変大事な仕事なのです。人間はとかくわがままで、自分一人で大きく育ったような顔をし、「忙しいから親の面倒をみる暇がない」などと非常識なことを言う人も少なくないでしょう。しかし、今、あなたがここにいるのは誰のおかげですか? 母親と父親のおかげでしょう。両親から受けた恩を知って、両親の面倒をみない限り、私たちは幸福になれないのです。

 それから、どの程度、両親の面倒をみればいいのかという問題もあります。親が中年ぐらいなら親の仕事を助けるとか、あるいは老年で足腰が衰え、身体の自由が利かなくなっているなら、身の回りの世話をするとか。状況を判断しながら、両親の恩は一生忘れずに、感謝の気持ちをもって、やるべきことはすべてやることです。 


●家族を守る

 両親の面倒をみるだけではなく、妻と子供を養い、守らなくてはなりません。ときどき奥さんを大事にしない男性もいるでしょう。ああしろ、こうしろと指図や命令ばかりして、奥さんを奴隷のように扱っている。毎日毎日、子供を育て、両親の世話をし、家の財産を管理して、家の雑事を何から何までやり、親戚たちともうまく付き合ってくれるなら、それほどありがたいことはないでしょう。「ありがたい」と感謝する気持ちがないと、幸福は来ないのです。


●罪を犯さず、酒をつつしむ

 仕事を選ぶ時は、罪を犯す職には就かないことです。いくらお金が儲かるといえども、他人に害を与えたり、罪を犯す仕事なら、即刻やめるべきです。それから酒に溺れないこと。仕事が終わると家に帰らずに、しょっちゅう居酒屋やパブに行く男性がいるでしょう。それでは人生が台なしになってしまいます。酒を飲むと、理性を失い、何をするかわからないのです。酒というのは魔薬で(麻薬とは少し意味が違いますが)魔に言われるまま、暴力を振るったり、中傷したり、バカなことをやって罪を犯してしまうものです。ですから酒はやめた方がいい。


●驕りを捨て、謙虚に

 35歳から40歳になると、仕事の面でもさまざまな経験を積み、責任を任され、社会人としての貫禄もついてくる頃です。このバリバリと仕事ができる最盛期にこそ、威張らず、驕らず、謙虚で、落ち着くことを習うべきなのです。


●得たもので満足する

 欲の限度をわきまえて、足ることを知ることです。40歳ぐらいになると、自分の能力は自分でわかるものです。会社では「自分は係長までだ」とわかったら、そこで覚悟した方がいい。「課長になるまで頑張るぞ」と欲を出すと、今はリストラの時代ですから、昇進どころかクビになってしまうかもしれません。そうすると人生はさらに苦しくなる。ですから自分の能力を知り、今ある仕事を精一杯やって、充実感を得ることが大事なのです。


●法を聞き、真理を発見する

 それから定年で退職する頃には法を聞くこと、つまり仏教を勉強することが大切です。六十歳や七十歳になっても飲み屋を歩き回ったり、妻がいるのに他の女性を求めたりしていては、大変な不幸に陥ります。お釈迦さまは「年を取ったら異性に対する欲は捨てて修行しなさい」と諭されました。医学では、男性は八十歳や九十歳になっても異性との関係がもてると言われているようですが、それは屁理屈で、やはり高齢になったら自分の体力は守った方がよいのです。そしてお釈迦さまが説かれた存在の真理、苦集滅道の真理を発見できるように励むことです。


●涅槃の体得

 そして最後には、苦しみの滅、究極の幸福である「涅槃」を体得できるように修行することです。これは必ずしも出家しなければならないということではありません。経典には出家するようにとは書かれてありませんから、在家のままでも、怠らずに精進すれば涅槃に至れるということです。もし子供を正しく育ててきたなら、子供は自分の面倒を見てくれるでしょう。食事ぐらいは作ってくれると思います。それで自分には暇ができますから、その時間で真理を目指して精進すれば、涅槃さえも得られるということなのです。

 人生のプログラムはこれですべて終了です。仏教の育児とは、幼少期のことだけでなく、生まれてから死ぬまでの一生涯の教育のことなのです。死ぬ時には究極の幸福である涅槃を体得しましょうという広大なスケールのプログラムなのです。


人生の成功者


 お釈迦さまが説かれたこれらの項目を実践して成功を収めた人の心はどのようなものか、ということが次に示されています。世の中には損や得、賞賛や非難、名誉や不名誉、苦や楽などがありますが、これらのことに触れても心は混乱せず、平静である。憂いや悲しみ、未練がなく「これがやりたい、あれがやりたい」という欲もない。心が安定して平和がある。お釈迦さまは「このような人はいかなることにも負けず、あらゆる場面で勝利を得、幸福が得られる。これこそが人間の生きる道です」と仰られ、この経典を締めくくられました。


親の役目・子の役目


 それから親と子が互いに幸福に生きるためには、親子の関係を正しく護る必要があります。『六法礼経』Singâlovâda suttaという経典には、親と子がそれぞれ果たすべき役目が具体的に述べられています。


親に対する子供の役目

両親を養う。
両親の仕事や義務、用事をバトンタッチする。
家のしきたりや習慣を守る。
両親から受け継いだ財産を無駄にせず、きちんと管理する。
両親が亡くなったら供養する。
子供に対する親の役目

悪い行為をしない人間に育てる。
善い行為をする人間に育てる。
教育を受けさせる。
相応しい結婚相手を見つける。
財産を譲り、自分は身を引く。
 以上の項目を親と子がそれぞれ実践するなら、親子の関係でトラブルが起こることはない、とお釈迦さまは説かれました。ここでは『六法礼経』の中の一部、親子関係だけを紹介しましたが、その他の関係(師弟関係、夫婦関係、友人関係、上司・部下の関係、宗教家・在家者の関係)については、Patipadâ合冊版2002年「根本仏教講義」に掲載されていますのでそちらをご参照下さい。



慈しみのメッセージ ―父から息子へ―

 最後に、お釈迦さまとラーフラ尊者との美しい対話をご紹介いたしましょう。
お釈迦さまには息子が一人いました。名前をラーフラと言います。息子は七歳の時に出家しましたが、もともと釈迦族の王子として出生し、宮殿で贅沢に暮らしていましたから、出家してかなり苦労したのではないかと思います。母親も、世話をしてくれる家来たちもいませんし、美味しいものも食べられません。父親であるお釈迦さまも、我が子だからといって息子を特別に可愛がることはなされませんでした。仏教の世界では皆平等ですから、お釈迦さまはラーフラ尊者をサンガの一員、出家者の一人として扱い、そして心配なされていたのです。ある日、お釈迦さまはラーフラ尊者に会われ、このように訊ねました。

 「ラーフラよ、共に生活しているからといって君は賢者を軽蔑していませんか? 人類に灯火を掲げている人、智慧の光を与えている人を尊敬していますか?」と。
これは誰のことかといいますとサーリプッタ尊者のことです。お釈迦さまは息子には善き友、善い環境を与えなければならないと考えて、智慧第一と称せられたサーリプッタ尊者に息子の教育を任せました。やはり父親なのです。息子を育てるにあたって人を選ぶ場合は、智慧第一人者に任せたのです。サーリプッタ尊者という方は、明晰な頭脳、抜群に鋭い智慧を備えつつも大変謙虚な方でしたから、子供はサーリプッタ尊者を遊び相手にして、失礼なことでもする可能性があるのです。お釈迦さまはそこを心配なされて「君は人類に灯火を掲げている人を尊敬していますか?」とラーフラ尊者に訊かれるのです。

 ラーフラ尊者は答えます。「共に生活しているからといって賢者を軽蔑するようなことを、私は致しません。人類に灯火を掲げている人を、私は常に尊敬しています」と。
ここをよく覚えておいてください。これは仏教の中でも大変立派な言葉の一つです。「人類に灯火を掲げている人を私は常に尊敬しています」という言葉。私たちは誰を尊敬すべきかといいますと「人類に智慧の光を与えている人」なのです。この幼い子が「私は常に賢者を尊敬しています」とはっきり言うのです。

 さらに父親は息子に語り続けます。ラーフラ尊者は出家しましたから在家の時のようにふざけて遊ぶことはできません。そこでお釈迦さまは息子に立派な比丘になることを教えられるのです。

「世の中のさまざまな喜ばしい五欲の対象を捨て去りなさい。君は家を離れ、出家したのですから、輪廻の苦しみを終滅しなさい」
「善い人と付き合い、騒音の少ない静かな所で生活しなさい。飲食の量を知りなさい」
「衣、食べもの、薬、寝る所に対して “私のもの”と執着してはいけません。再びこの世に還り来ないように」
「比丘として、出家者として、常に戒律を守り、眼耳鼻舌身意に気を付け、行儀などの身体の行為を観察し、落ち着いていなさい」
「外界のさまざまなものを見ても“美しい、きれい” と愛着するのをやめ、不浄を観察し、心を統一しておきなさい」
「心に潜む慢心を捨て去りなさい。そうすれば君は慢心を滅ぼして、安穏な日を送るでしょう」
と、最後には涅槃を体験するところで話を終えられました。

 これは父親の息子に対する「偉大なる慈しみのメッセージ」です。我が子が輪廻の中で彷徨って苦しみにあえいでいるさまを見るのは、親にとって耐え難いことです。お釈迦さまは「たとえ国王という地位や権威を握っても、有り余るほどの金銀財宝を手にしても、それで心の平安は得られない。だからそういうものに心を奪われず、存在の苦しみ、輪廻の苦しみを終滅しなさい」と、息子に慈しみのメッセージを送られたのです。

 古今東西を問わず、どんな親でも自分の子供が問題を起こさず、苦しまず、幸福に生きることを望んでいるのではないでしょうか。もしそうなら「良い成績をとりなさい、○○ちゃんに負けるな」とか「一流企業に就職しなさい」などと子供に過大な期待をかけてストレスを与える替わりに、「欲張ってはいけないよ。あれも欲しいこれも欲しいと欲を出せば苦しむのは君だからね。苦しみを終えなさい。苦しみを解き放ちなさい」と慈しみの言葉を伝えてほしいものと思います。
(完)

編集・文責/出村佳子




 

 


   
Sabbbe satta bhavantu sukhitatta