ブッダが説く判断基準(Kalama Sutta)  本文へジャンプ



A SURPRISE ADVICE OF THE BUDDHA
by Ashin Kelasa,
Kalama Sutta AN 3.
6
ミャンマー、マハガンダーヨン僧院在住 ケラサ師

お釈迦さまはいつもこのように話されました。「信じるのではなく、自ら確かめなさい」。そし て「比丘たちよ、他人の心を読むことはできないが、ものごとを探究する智慧のある比丘は、ブ ッダが正自覚者であるか否かについてもよく調べるべきです」と説かれました。
これは歴史上、他のどの宗教にも見つけることのできない仏教だけの特色、「自ら確かめ判断することの自由」についての経典です。

あるとき、お釈迦さまは、インドのケサプッテイ(Kesaputti)という小さな街を訪れました。 この町には、カーラマ族と呼ばれる人々が住んでいました。お釈迦さまがこの町に入られたこと を聞いたカーラマ族らは、お釈迦さまのもとに赴き、このように告げました。

「世尊よ、ある沙門やバラモンたちが、この町にやってきます。彼らはただ『自分たちの教えこそが正しい』と強く主張し、他の教えは、罵り、けなすのです。また別の沙門やバラモンたちが来て、彼らもまた自分の教えだけが正しいと強く主張し、他の教えは、罵り、けなすのです。世尊よ、私たちは『いったい誰が真実を語っているのか、誰が偽りを語っているのか』という疑念が生じ、混乱しているのです」

そこでお釈迦さまはこのように教えました。
「カーラマ族の人々よ、あなたがたが疑念を抱くのは当然のことです。不確かで暖味なところに 疑念は起こるものです。これから私が話すことを、よく注意して聞きなさい。

1 ただ聞いたこと(神の言葉など)を判断の基準にしない
2 伝承、伝統、伝説を判断の基準にしない
3 見当や当てずっぽうを判断の基準にしない
4 聖典や古典を判断の基準にしない
5 理屈を判断の基準にしない
6 推論、推測を判断の基準にしない
7 うわべだけの考えを判断の基準にしない
8 自分の見解と同じということを判断の基準にしない
9 可能性を判断の基準にしない
10 語る人(師)の偉大さを判断の基準にしない

カーラマ族の人々よ、あなたがたが何かを理解するとき、『これは不善であり、悪行為で、賢者に 非難されることである』と自ら知るならば、それらを捨ててください。また『これは善であり、 善行為で、賢者から非難されないことである』と自ら知るならば、それらを受け入れ従ってくだ さい」

お釈迦さまは、このように人の話を判断するときの基準を説かれました。

この目の覚めるようなお釈迦さまの教えを聞いて、皆さんは改めて仏教について考えてみたり、 これまで皆さんが信じてきた宗教と比べてみたりするかもしれません。私は皆さんを「仏教徒に しよう、信じさせよう」と思ってお話しているのではありません。ただ、お釈迦さまの教えを、 関心のある方々と分かち合いたいだけなのです。

お釈迦さまは、他宗教の人たちを仏教へ改宗させようとして教えを説かれたことはありません。 お釈迦さまの教えは、過去も現在も他の宗教に害を与えたことはありませんせんし、未来におい ても害を与えることはありません。お釈迦さまは信仰や崇拝、祈りなどの宗教には、まったく興 味がなかったのです。

仏教は祈ること(信仰)は教えていません。悪行為を引き起こす貪瞋痴(欲・怒り・無知)を減らすことを教えてい るのです。多くの人々が私のところに来てこのように言います。「仏教はとても単純ですばらし いと思います。でも、実践するのはむずかしい」と。それで私はこのように答えます。「(難しく考えずに)ただありのままの現象、欲、怒り、無知を観察してください。きっと燃えていた 火が消えたように、心が静まるでしょう」と。

お釈迦さまは、カーラマ族の人々に、続けて説かれました。

「カーラマ族の人々よ、怒りは、善ですか、悪ですか。幸福をもたらすものですか、心を乱すも のですか。平和的なものですか、有害なものですか」

世尊よ、怒りは実に悪いもので、心を乱し、有害なものです」

「カーラマ族の人々よ、怒りや憎しみをもつ人は他の生命を害し、殺します。あなたがたはこの 事実をどう考えますか。怒りを心に留めておきたいのですか、捨て去りたいのですか」

世尊よ、怒りが消え、心が落ちつくことを望みます」

カーラマ族の人々は、怒りが悪いもので、有害なものであることを自ら知り、同様に、貪りや無知も悪いもので、有害なものであることを自ら知りました。自分の気に入らない人々やものごと にたいして、腹を立てて怒りをあらわせば、最初に傷つき害されるのは他ならない自分自身な のです。気づきや忍耐に欠け、怒りが有害なものであることを知らなければ、心は汚れ、混乱し ます。このような苦しみをもたらす怒りは鎮められるべきではないでしょうか。もし怒りが鎮まれば、心は善良で、正しく、清らかになります。そうすれば、もういかなる宗教や儀式、儀礼に も頼る必要がなくなるでしょう。

「怒り、貪り、無知は、気づきの成長によって鎮められます」と、お釈迦さまはよく話されまし た。ビパッサナー (Vipassana) を実践し、気づきを育てるなら、自らの知識、智慧、理解 (Panna)を通して、これらのことを経験することができるでしょう。

皆さまの中には、お釈迦さまのこの智慧のある教えを聞いただけで、納得された方もいらっしゃるのではないでしょうか。そしてこのように考えるかもしれません。「怒りは悪く、有害なもの だ。それは誰よりも先に自分を傷つける。そして多かれ少なかれ、周りの人たちを混乱させる。 だから怒りから離れるべきである」と。

それから、お釈迦さまは「怒り」を取り除くために、慈悲の冥想 (metta) を教えられました。 もし怒りが慈しみの心に入れ替わるなら、心は純粋で、穏やかで、清らかになります。ですから 「慈悲の利点」と「怒りの危険性」を賢く知るべきです。また、何をするときにも気づいている ことが大切です。少しづつ、気づきや忍耐、慈悲など、心の善い性質に慣れ親しみ、経験を重ね ていくことによって、善の利点を明確に理解するでしょう。

お釈迦さまは、カーラマ族の人々にこのように聞きました。

「カーラマ族の人々よ、もし来世に、天界や地獄、楽の次元や苦の次元、善業の果報や悪業の果 報があるとすれば、慈しみを育てた人は、死後天界に行くでしょうか、地獄に行くでしょうか。 楽の次元に行くでしょうか、苦の次元に行くでしょうか。善い果報を受けるでしょうか、悪い果 報を受けるでしょうか。あなたがたはどのように思いますか」

カーラマ族の人々は全員で答えました。「まさに今生きているこの世で慈しみの心を育てた善 人は、死後、天界や楽の次元に行き、善い果報を受けることができます」。このように、カーラ マ族の人々は、それぞれの智慧で「今どのように生きるべきか」ということを理解したのでした 。お釈迦さまは、カーラマ族の人々が自ら判断できるように、彼らの知識や智慧に、少し刺激を 与えたにすぎないのです。

この説法のあと、すべてのカーラマ族は、智慧のあるお釈迦さまの教えを受け入れ、帰依しまし た。

この話は、増支部経典・カーラマスッタ (Kalama Sutta) で述べられています。

すべての生命が、涅槃に至るための正しい道を見いだすことができますように

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SURPRISE ADVICE OF THE BUDDHA
Dhamma talk by Ashin Kelasa,
Mahagandhayon, Myammer










   
生きとし生けるものが幸せでありますように
Translated by Yoshiko Demura